伊藤 尭先生の逝去を悼む


濱野吉生 (早稲田大学教授・前日本スポーツ法学会会長)


 ありし日の伊藤先生

 伊藤尭先生は、昨年一二月に開催された学会大会に出てこられず、いつもの「伊藤節」を披露することはなかった。当時は足を骨折しただけだから治ったらまた大きな声と大きな身体で理事会や学会大会に出てこられるだろうと、その時は思っていたのだが……。
その私達の思いは叶わず、先生は八月十一日午後十一時三三分家族に見守られてお亡くなりになった。何であの元気だった先生が、というのが先生の計報を聞いた時の私の最初の思いであった。
 本学会第二代目の会長を務められた先生は、若い日本スポーツ法学会を大きく育てようと理事会、研究会でも活発にご発言をされていた。特に大会のシンポジウム等では常に積極的に発言をし、若手研究者を育てようと時に厳しい指摘をしながらも常に最後にはやさしく「しっかり研究を続けなさいよ」と励ましの言葉を掛けていたのがとても印象的だった。先生が東京女子体育大学を退職なさったあと、平成国際大学でスポーツ法学を講じ、その受講生である学生、院生を先生が会費を負担して学会に参加させていたのもその現れであっただろう。
 伊藤先生は日本教育法学会でも長いこと理事を歴任され、そこでも学校体育事故について先駆的な研究成果を発表なさっていた。先生が学校事故研究に取り組まれるようになったきっかけを雑談の中で伺ったことがあるが、それは当時教授をされていた東京女子体育大学の学生が授業中水泳事故にあい、そのときの体験から被害者救済と学校体育・スポーツ指導者の法的責任について深い問題関心をもったと言われていたのを思い出す。
 先生は一九六九年に『体育と法』(道和書院)を著して、体育・スポーツ事故による法的責任について後の学校事故研究者の道を開いた。その後一九七一年に『体育・スポーツ事故判例の研究』(道和書院)、一九八○年に『体育法学の課題』(道和書院)をお書きになり、これらの著書に貫かれているのは、「体育・スポーツ活動は本質的に不可避的な危険な要素を含んでいる。これを完全に回避することが不可能であるとするならば、被害者に対する充分な救済措置が前もって配慮されなければならない」という先生の思想であった。そしてスポーツ指導者には、スポーツ参加者が安心して参加できるために事故を予測してスポーツの特性に対応した適切な指導力が重要だとして東京女子体育大学に体育・スポーツ事故間題をカリキュラムとして導入し「運動事故補償論」という講座を開設した。その後「スポーツ法学」と改称して将来体育・スポーツ指導者になる学生たちの養成をはかってきている。
 日本のスポーツ法学研究のいわば道筋を開いた先生は、まだ七五歳であった。今年の暑い夏、先生は急いで逝ってしまわれた。
 先生のあの大きな声が学会で聞けなくなるのはとても寂しい。