日本スポーツ法学会 会報 第20号


第一〇回大会 一二月一四日早稲田大学国際会議場で開催へ
「スポーツ法と文化−スポーツと女性」をテーマに


 日本スポーツ法学会第一〇回大会は二〇〇二年一二月一四日(土)に早稲田大学国際会議場を会場として「スポーツ法と文化−スポーツ女性」をテーマに開催する。
 午前は、自由研究発表、午後総会に引き続き、第一〇回大会開催を記念して初代会長の千葉正士氏(本学会名誉理事)による「日本のスポーツ法学会一〇年を振り返って」と延基榮氏による「韓国スポーツ法の現状」(韓国・東國大学校法科大学法学部長、韓国スポーツ法学会会長)の二つの記念講演、本大会テーマによるシンポジウムを開くことになった。
 千葉正士名誉理事による講演と浦川通太郎理事のご尽力により韓国スポーツ法学会会長延基榮氏をお招きしての記念講演が第一〇回大会を迎える本学会のさらなる発展に大きな刺激を受けるのではないか。
 シンポジウムは「スポーツ法と文化−スポーツと女性」のテーマでパネリスト白井久明氏(弁護士)と小笠原悦子氏(JWS代表)、井上洋一氏(奈良女子大学)、寒川恒夫(早稲田大学)をお迎えし、白井氏の「スポーツにおけるセクシャルハラスメント」、小笠原氏の「女性のスポーツ参加」、井上氏の「アメリカ 女性スポーツの平等機会とタイトルナイン」、寒川氏の「伝統と女性差別」の報告をもとにして行われる。女性のスポーツ参加をめぐって様々な問題が起こり、その都度それを解決及び研究をしてきた四人のパネリストの報告と会場からの参加者の熱心な討議が予想される。 
 なお、午前中の自由研究は、「フランスに於けるスポーツ調停制度の展開」(齋藤健司・神戸大学)、「オーストラリアスポーツにおける団体の法人制度の展開(森浩寿・日本大学)、「イギリスにおけるドーピングの法的規制論に関する一考察」(森克己・鹿屋体育大学)、「事故予防の側面から見たアスレティックトレーナー」(平井千貴・富士アスレティック&ビジネス専門学院・総合スポーツ研究所)の四本の研究報告が行われる。
 大会終了後は恒例の懇親会を開催する。

第四回理事会報告 (※この内容は第4回理事会報告と同じ)
日時:平成一四年九月二八日
場所:東亜大学東京事務所
出席理事:小笠原正会長、菅原哲朗副会長、望月浩一郎事務局長。
委任状出席:濱野吉生、山田二郎、池井優、森川貞夫、萩原金美、浦川道太郎
事務局入澤 充、千田志郎
報告
(一)財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団、財団法人スポーツ安全協会、日本スポーツ法学会主催による平成一四年度事業として平成一五年二月九日に品川プリンスホテルで開催される「ジュニアスポーツの育成と安全・安心フォーラム」要項について報告された。 
(二)平成一四年一一月一二日にICAS(スポーツ仲裁国際理事会)大阪会議の記念シンポジウム参加者募集の件が報告された。
(三)研究専門委員会について
 ADR研究専門委員会の開催について報告された。平成一四年一一月九日(土)午後二時から早稲田大学人間総合研究センター分室(早稲田大学南門前レストラン高田牧舎二階)で上柳敏郎弁護士による「千葉すず仲裁事件の経験から日本のスポーツ仲裁を考える」及び出井直樹弁護士による「スポーツADRと弁護士会の取り組み」について報告討議を行う。
 事故判例研究会は日程及び内容について検討中と報告された。
(四)スポーツジャーナル原稿執筆の件について報告された。
(五)学術会議について
(六)先に亡くなられた第二代会長伊藤堯先生の追悼の表し方について報告された。次号会報及び年報で追悼文の掲載が了承された。
議題
(一)第一〇回大会開催に関する件
 日時:平成一四年一二月一四日(土)
 場所:早稲田大学国際会議場
 テーマ:「スポーツ法と文化−スポーツと女性」
 記念講演、シンポジウム、自由研究について事務局から提案があり、了承された。四月開催理事会で決定していた件についての依頼終了報告と今後の依頼等については事務局が引き続き行うことになった。
(二)年報第九号の件
 テーマは「アマチュアスポーツをめぐる法律問題」の製作進行状況が報告された。
(三)年報第一〇号の件
 第一〇回大会のテーマをもとに編集を行い、記念講演、自由研究等について収録し、依頼原稿について小笠原正「ジェンダーとスポーツ法学」、中村祐司「日本スポーツ法学のこれまでの課題とこれからの課題」が了承された。八月に亡くなられた伊藤堯第二代会長の追悼文を小笠原正会長、菅原哲朗副会長に依頼をすることを提案、了承された。 
(四)新入会員の件
 新入会員として安藤拓郎氏(弁護士)、白井久明氏(弁護士)の入会が承認された。会員数二五七名となる。
(五)会費値上げの件
 平成15年度より会費値上げを行うことになった。詳細は第10回大会で報告する。
(六)年報及び会費検討委員会について
 平成14年8月26日岸記念体育館スポーツマンクラブで「年報及び会費検討委員会」が小笠原正会長、森川貞夫理事、中村祐司・小林真理事務局員参加の下で行われた。今後森川理事が本委員会の代表とし、年報編集・学会費に関して討議を行い、第10回大会総会で方向性を確認することが報告され、討議の結果委員会の提案通り了承された。この検討の結果、森川貞男理事のもと、年報編集員会が平成15年度より発足することが報告された。編集委員には、中村祐司、入澤 充、小林真理、森浩壽会員が就任。
(七)会費率向上の件
 望月事務局長、千田事務局員から会費納入の件が報告され、会費納入の督促を改めて行うことが確認された。
(八)入会、退会、会費請求、会員名簿管理システムについて
 会費システムを一本化し、すべて事務局で行うことが提案了承された。それに伴い学会の口座を郵便局扱いできない会員がいるため銀行にも開設することが了承された。
入退会システムをエクセルファイル管理することが了承された。
(九)年報販売について
 第八号については、直接事務局注文方式を採用し、第九号から道和書院に発売元を依頼し了承されたのを受けて理事会討議を行い、掛け率等について引き続き検討しながらも全国書店からの注文に応えるために出版社を通して年報を販売することは了承された。

スポーツ安全フォーラム平成15年度開催から2会場で
 財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団、財団法人スポーツ安全協会、日本スポーツ法学会主催による「スポーツ安全フォーラム」は、平成一五年度事業から東京・大阪の二会場で開催することが決定した。
 2000年度から開催されている「ジュニアスポーツの育成と安全・安心フォーラム」は、平成一四年度事業として平成15年2月9日に品川プリンスホテルで開催されることになった。
 9月28日の理事会開催に先立ち、日本体育協会青少年スポーツ部の岩田史昭氏、江橋千晴氏から平成14年度事業及び平成15年度事業の概要が報告された。
 平成14年度の内容は、講演及びフォーラム(パネルディスカッション)と今年度からジュニアスポーツ法律アドバイザー研究会を柱として企画が進んでいることが報告された。
 詳細は追って会員にお知らせします。

告知板
スポーツ仲裁国際理事会(ICAS)来阪 記念シンポジウム 
 平成14年11月12日にICAS(スポーツ仲裁国際理事会)大阪会議の記念シンポジウムが開催されることになりました。テーマは「スポーツ紛争と仲裁」。スポーツ仲裁国際理事会(ICAS)が大阪でスポーツ紛争をめぐる国際的な動向を踏まえてスポーツ仲裁の意義と課題を考えます。会員には別途案内が行きます。

伊藤堯先生の逝去を悼む
 (この内容は伊藤 尭先生の逝去を悼むと同じです)
濱野吉生(早稲田大学教授・前日本スポーツ法学会会長)

 伊藤堯先生は、昨年12月に開催された学会大会に出てこられず、いつもの「伊藤節」を披露することはなかった。当時は足を骨折しただけだから治ったらまた大きな声と大きな身体で理事会や学会大会に出てこられるだろうと、その時は思っていたのだが・・・。
 その私達の思いは叶わず、先生は8月11日午後11時33分家族に見守られてお亡くなりになった。何であの元気だった先生が、というのが先生の訃報を聞いた時の私の最初の思いであった。
 本学会第2代目の会長を務められた先生は、若い日本スポーツ法学会を大きく育てようと理事会、研究会でも活発にご発言をされていた。特に大会のシンポジウム等では常に積極的に発言をし、若手研究者を育てようと時に厳しい指摘をしながらも常に最後にはやさしく「しっかり研究を続けなさいよ」と励ましの言葉を掛けていたのがとても印象的だった。先生が東京女子体育大学を退職なさったあと、平成国際大学でスポーツ法学を講じ、その受講生である学生、院生を先生が会費を負担して学会に参加させていたのもその現れであっただろう。
 伊藤先生は日本教育法学会でも長いこと理事を歴任され、そこでも学校体育事故について先駆的な研究成果を発表なさっていた。先生が学校事故研究に取り組まれるようになったきっかけを雑談の中で伺ったことがあるが、それは当時教授をされていた東京女子体育大学の学生が授業中水泳事故にあい、そのときの体験から被害者救済と学校体育・スポーツ指導者の法的責任について深い問題関心をもったと言われていたのを思い出す。
 先生は1969年に『体育と法』(道和書院)を著して、体育・スポーツ事故による法的責任について後の学校事故研究者の道を開いた。その後1971年に『体育・スポーツ事故判例の研究』(道和書院)、一九八〇年に『体育法学の課題』(道和書院)をお書きになり、これらの著書に貫かれているのは、「体育・スポーツ活動は本質的に不可避的な危険な要素を含んでいる。これを完全に回避することが不可能であるとするならば、被害者に対する充分な救済措置が前もって配慮されなければならない」という先生の思想であった。そしてスポーツ指導者には、スポーツ参加者が安心して参加できるために事故を予測してスポーツの特性に対応した適切な指導力が重要だとして東京女子体育大学に体育・スポーツ事故問題をカリキュラムとして導入し「運動事故補償論」という講座を開設した。その後「スポーツ法学」と改称して将来体育・スポーツ指導者になる学生たちの養成をはかってきている。
 日本のスポーツ法学研究のいわば道筋を開いた先生は、まだ七五歳であった。今年の暑い夏、先生は急いで逝ってしまわれた。
 先生のあの大きな声が学会で聞けなくなるのはとても寂しい。