提言「(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度」の創設

提言「(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度」の創設 

2023年7月1日

日本スポーツ法学会

 

 背景 ~スポーツ事故補償を考える必要性・問題意識

2011年に制定されたスポーツ基本法では、いわゆる「スポーツ権」が謳われ(前文、2条1項)、スポーツを行う者の「心身の健康の保持増進及び安全の確保」を図ること(2条4項)、スポーツ団体の努力義務として安全の確保に配慮すること(5条1項)、国及び地方公共団体に対してスポーツ事故の防止等の努力義務(14条)を規定している。また、2022年3月に策定された第3期スポーツ基本計画ではその柱の1つとして、スポーツに「誰もがアクセスできる」ことが掲げられているが、そのためには、安全・安心なスポーツ環境が不可欠といえる。こうした観点から、スポーツの安全確保のために行政及びスポーツ団体は様々な対策を講じてきた。その一方で、発生した事故に対する対応についてはいまだ大きな課題が残っている。

わが国におけるスポーツ事故の補償をめぐっては、スポーツ安全保険、災害共済給付制度、学生教育研究災害傷害保険、スポーツ団体独自の経済支援(見舞金)制度、民間の保険、そしてスポーツ事故被災者(以下、「被災者」という。)による損害賠償請求等がある。しかし、現行の補償制度と被災者の支援ニーズとの間にはなお乖離があり、とりわけ重大事故をめぐっては事故当事者に偏った経済的・精神的負担や犠牲を強いるもので、スポーツの振興と安全・安心の確保のためのバランスの取れた制度とは言い難い。

こうした状況に鑑み、日本スポーツ法学会では事故判例研究専門委員会、シンポジウム、学会大会等において「スポーツ事故補償のあり方」について議論・検討を重ねてきた。

その結果、安全・安心なスポーツ環境を確保するという観点で、スポーツ事故を可能な限り回避しつつ、不幸にもスポーツ事故が発生した場合は被害の拡大を防止、軽減する対策が求められ、それでもなお回復されない被害に対しては適切な救済(補償)が不可欠であることを確認した。これら一連の取り組みを通じて、安心してスポーツ活動を行うことができる環境の実現を目指すべきとの認識に基づき、日本スポーツ法学会は、国(スポーツ庁)をはじめとした関係各機関に対し、「(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度」創設の検討を提言する。

 

Ⅱ 現行制度の課題

1)スポーツ事故に関する現行の補償制度

現在のスポーツ事故に関する補償制度は、学校、大学、地域スポーツ等各分野で異なる補償制度が併存し、いわばパッチワーク的な状況が生じている。たとえば、高校までの学校管理下での事故については、独立行政法人日本スポーツ振興センターが運営する災害共済給付制度により最大4,000万円が支給される。他方、大学での事故については、最大1,500万円までをカバーする公益財団法人日本国際教育支援協会の学生教育研究災害傷害保険がある。

これに対して、地域スポーツに関しては、公益財団法人スポーツ安全協会が提供するスポーツ安全保険が普及している。当該保険は4名以上のアマチュア団体による(学校管理下での活動を除く)スポーツ活動を対象としており、最大4,650万円の給付がある。

また、スポーツ団体が独自に構築している制度もある。たとえば、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会では見舞金制度を整備しており、傷害に対して最大150万円、死亡には200万円の給付が行われる。また公益財団法人全日本柔道連盟では、死亡及び後遺障害に対して200万円を支給する見舞金制度のほか、1~3級後遺障害に対して2,000万円の給付を行う後遺障害見舞金を導入している。

これらのほか、民間保険(傷害保険、賠償責任保険)があり、その補償の内容は保険商品によるが、なかでも傷害保険は被災者に生じた損害を全てカバーするものでないことが多く、保険加入者数も少ないとみられる。このように、同じスポーツ事故であっても、学校、大学、地域スポーツ、競技、民間保険等の違いにより、スポーツ事故被災者が受けられる補償内容に差異が生じている。

 

2)スポーツ事故をめぐる損害賠償(裁判等)

これまで裁判で解決されたスポーツ事故の中には、学校管理下の事案として、高校サッカーの大会中の落雷事故で約3億円の賠償請求が認容された事案(損害認定額:3億2,958万9,928円/賠償額:2億7,532万1,123円:高松高判平20・9・17)のほか、賠償額が1億円を超えた事案として、高校器械体操部での鉄棒からの落下事故(損害認定額:2億1,079万2,529円/賠償額:1億7,309万2,529円:大阪高判平29・12・15)、高校体育祭の騎馬戦での落下事故(損害認定額:2億3,422万4,164円/賠償額:1億8,267万4,164円:福岡地判平27・3・3)、高校柔道部での同級生の投げ技による事故(損害認定額:2億2,248万1,462円/賠償額:1億5,961万755円:東京高判平25・7・3)がある。なお、学校管理下での事故については災害共済給付が損益相殺により控除された金額であることに留意が必要である。

地域スポーツでは、柔道教室での指導者の投げ技による事故(損害認定額・賠償額:2億1,251万6,349円:長野地松本支判平23・3・16)等がある。

また、大学関係では、ラグビーでのタックル事故で約9,700万円の賠償が認容されている(損害認定額:1億6,177万4,213円/4割の過失相殺:東京地判平26・12・3)。

このように、スポーツ事故をめぐる裁判での損害賠償額の認定は、とりわけ重度後遺障害が残ったようなケースでは、現行の補償制度での補償上限額をはるかに超える金額となっている。

 

3)重傷事故の経済的負担

現行の補償制度は、すべて任意加入が原則となっている。ただし、こと災害共済給付制度については加入率が99.4%と極めて高く、学校事故補償をめぐって重要な役割を果たしてきた。しかし、その他の分野では、なお保険加入率の向上が課題となっている。また、たとえ保険に加入していたとしても、上記の通り、スポーツ事故の補償上限額はスポーツ安全保険(傷害保険)では最大4,650万円、学校災害共済給付では4,000万円となっており、重度障害等のケースでは十分な補償を受けることができない。一方、国の制度として給付される所得保障制度も、普段の生活費に加え、障害に起因する様々な出費が生じる現状を考慮すれば、十分な金額とは言えない。そのため、他者の過失に基づく損害賠償を求めることが考えられるが、当事者間の対立や人間関係・コミュニティの崩壊といった二次的な被害をおそれ、損害賠償請求を諦めざるを得ない場合もあるほか、賠償を求めてもスポーツにおける自己責任論を盾に任意に応じてもらえないことも多い。また、裁判によって賠償を求める場合には、請求する被災者側が事故態様や過失、損害の発生等について立証責任を負い、賠償責任が認められるためのハードルが高く、賠償責任が認められたとしても、過失相殺により十分な補償(賠償)を受けられないこともある。さらに、加害者側に資力がない場合には、事実上被災者の負担となる可能性もある。加えて、賠償責任が認められ解決するまでには多大な時間とコストを要することも多く、被災者の経済的負担が増大することも予想される。

 

4)補償の遅れによる症状改善への影響

補償の遅れにより、適切な治療やリハビリテーションを受けることができず、被災者の状態が悪化し、将来的な治療費や介護費の増大という被害が拡大する可能性がある。特に脊髄や頚髄の損傷等では、事故後の早い段階に適切な治療を行うことが症状改善の鍵とされている。

 

5)コミュニティからの孤立

スポーツによる事故の後、被災者やその家族は介護中心の生活やそれに伴う離職、経済的困窮を避けるための訴訟の提起等を余儀なくされる。とりわけ、24時間常時支援が必要な重度障害を負った場合、本人だけでなく家族の生活もすべて介護に費やすことになり、それまであった地域や職場とのつながりを絶たれることになる。そのような介護や離職による孤立は、被災者が直面する大きな課題である。さらに、関係者に対して賠償請求を行うこと(訴訟を含む)で、当事者間に敵対的な関係が生じ、被災者の孤立が深まる危険を孕む。こうした対立構造はスポーツコミュニティの健全な発展の阻害要因にもなりうるのである。

 

6)原因究明のための負担

現行の制度における事故原因の究明は、スポーツ事故の当事者や関係者にとって精神的な負担となっている。

現状では、事故の責任を追及されるおそれもあることから、関係者らが自己に不利益な情報を開示しない等、事故原因の究明に積極的に協力しないという状況が生じうる。このような関係者らの姿勢は、事故原因の究明を困難にするだけでなく、被災者を傷つけ、感情のもつれや人間関係を含むスポーツコミュニティの崩壊を引き起こす可能性もある。

 

7)繰り返される重大事故

「スポーツ権」及び「心身の健康の保持増進及び安全の確保」を謳うスポーツ基本法の制定から12年が経過した今も、死亡や高度障害といった重大な結果を招く同様のスポーツ事故が毎年のように繰り返されている実態がある。

ところで、2016年に文部科学省が「学校事故対応に関する指針」を通知したことにより、学校におけるスポーツ事故原因の究明をめぐって、一定の前進が見られた。しかし、なおスポーツ事故調査・分析や事故情報の集約・開示に基づく効果的な防止策が取られているとは言い難い。ちなみに、学校事故は2012年から2021年までの10年間で死亡が421件、重度の障害事故(1~3等級)が156件発生しており、年度ごとの件数は横ばいとなっている。

 

Ⅲ 提言(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度」の創設

上記Ⅱの課題を解決するために、日本スポーツ法学会は、国(スポーツ庁)をはじめとした関係各機関に対して、下記の7点を骨子とした「(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度」創設の検討を求める。

  • 被災者の迅速な救済:被災者に対して素早い支援措置を講じ、必要な補償を迅速に提供すること。
  • 当事者の過重負担回避:事故の当事者が抱える経済的及び精神的な負担を軽減するために、事故による損失の公平な分担を行うこと。
  • 当事者間の対立回避:民事責任をめぐる敵対的な関係を回避し、当事者が協力して事故原因の究明に取り組める環境を整備すること。
  • 事故原因の調査・究明:一定の重傷事故が発生した場合には、第三者調査機関が事故原因を調査し、真相究明を行うこと。
  • 被災者に寄り添い、被災者を主役にする事故防止対策:被災者の意見や声を重視し、事故防止策の策定や実施に被災者を積極的に参画させること。
  • 研究機関との連携:研究機関との協力関係を築き、事故防止や被災者支援に関する研究や情報の共有・活用を図ること。
  • 被災者コミュニティとの連携:被災者コミュニティとの緊密な連携を図り、被災者の声やニーズに応えるための支援体制を構築すること。

 

上記を骨子とする、スポーツ事故をめぐる補償等総合支援制度の創設により、簡易かつ迅速な被災者救済、また総合的な側面からの被災者支援、さらには当事者・関係者らによる協力的な原因究明を可能とし、効果的で実質的な事故防止に繋げ、ひいては国民が安心して関わることができる安全なスポーツ環境を創出し、現行制度の課題の改善に繋げていく。

また、当該支援制度を包括的に担う機関として「(仮称)スポーツ事故被災者への補償等総合的支援制度センター(以下「センター」という。)」を創設する。センターが画一的かつ統一的な補償と原因究明、被災者の支援を実施していくことで、上記の①~⑦を相互に関連付け、それぞれが有機的に機能する仕組みとする。

これにより連帯、尊重、友愛を謳うスポーツの価値に立脚しつつ、競技者のウェルビーイングの実現を目指す。

 

Ⅳ 課題解決に向けた「補償等総合的支援制度」のポイント

1)簡易かつ迅速な被災者救済

本制度では、事故により一定の重傷を負った者を対象として、事故当事者の過失を問わず一定の給付を実施する。重傷を負った被災者にとって迅速な補償が極めて重要であることはいうまでもない。中でも脊髄や頚髄損傷においては、事故後3~6カ月以内の治療が症状改善の鍵とされており、その間のリハビリに集中できる環境整備、さらに社会復帰に向けた効果的な支援が不可欠となる。また、早期治療による症状改善が実現することで、被災者の社会参加における選択肢が広がり、他方、将来的な医療費や介護費用等の削減にも繋がる。

 

2)被災者請求と当事者の対立回避

本制度では、被災者がセンターに対して直接請求するものとする。また過失ある当事者及び関係者は、労災補償制度と同様に、給付額の限度で同一事由に基づく損害賠償責任が免れる建て付けとする。

コミュニティ内で当事者の補償をめぐる対立を回避することで、加害者側が被災者側に対して積極的な事故対応を取りやすくなり、双方にとって精神的な負担を軽減することができる。こうして事故による人間関係の破壊を回避し、当事者及び関係者が互いに尊重、連携しながら事故に向き合える環境整備を目指す。

 

3)画一的統一的な制度運用

これまでスポーツ事故補償に関しては、複数の補償制度がパッチワーク的に併存してきた。しかし、今後はスポーツ事故に関する補償制度を画一的かつ統一的な制度として整備することで、事故の情報が集約・蓄積され、効率的な事故原因の分析や研究を促進させ、実質的な予防に繋がる制度設計を目指す。たとえばニュージーランドでは、国家的な補償制度の下、このモデルを採用し、事故防止に向けた様々なプログラムを開発している。このように、情報集約と分析研究、原因究明と再発防止に向けた有機的なサイクルを構築するためにも、画一的で統一的な処理を実現するセンターの設立には大きな意義が認められる。

 

4)スポーツ事故調査委員会

本制度では、センターが、被災者への補償(給付)、支援、事故調査、分析、事故予防の研究、提言を総合的かつ統括的に担う。また、当該センター内に「(仮称)スポーツ事故調査委員会」を設置し、一定の重傷事故が発生した場合には、事故調査委員会によるヒアリングを実施し、一定期間内に報告書をセンターに提出する。なお当該調査における証拠保全は、誰かの責任を問うためのものではなく、正確な原因究明をもとに再発防止を図り、コミュニティの安全を確保するものであるという認識を現場で徹底していく。

 

5)サポートネットワークの構築

スポーツによる事故の後、被災者やその家族は介護中心の生活やそれに伴う離職、経済的困窮を避けるための訴訟等様々な困難を抱える。また、こうした状況の中で、かつての帰属組織やスポーツコミュニティからの離脱を余儀なくされる。このような事故後に生じる深刻な二次被害に対処するために、同じ被災者の立場からピア・サポートの役割を担うサポートネットワークを構築し、具体的に以下の支援等を実施する。

①これまでのスポーツコミュニティの関係性を維持することによる本人及び家族を含む心理的支援

②社会復帰や就学・就労支援を目的とした医療や福祉制度等に関する情報共有

③被災者とスポーツ団体との協働による事故防止対策

 

Ⅴ 今後の検討課題

1)公平感を保つためのコストの分散

本制度は、事故当事者の過失の有無にかかわらない補償を基調として被災者の救済を図るものであるが、被災者のコストをどのように分散すれば公平感が保てるのか検討する必要がある。たとえば、スポーツ事故のコストを一定のコミュニティの中で分散させるとしても、競技ごとでもその危険の高低はあり、メリット制等の導入を検討することが求められる。また、非難可能性の低い行為によって生じる事故については、このコストをコミュニティの中で分散することに合理性があるといえるが、他方、加害者に故意や悪意が認められるような場合にまでもそのコストを他者が負担することについては、公平感を保てず、またモラルハザードの観点からも妥当とは言えない。それゆえ、特定のケースではセンターからの求償を可能とする制度設計の検討が必要となる。

 

2)本制度の射程と既存制度の活用

リスクに対する受益者負担、モラルハザードの回避、国家財政への負担軽減等コスト・パフォーマンスの観点から、本制度が対象とする事故の範囲、また補償額等について慎重な検討が必要となる。たとえば、本制度の対象を一定の後遺障害が伴う事故に限定する制度設計も考えられる。また、後遺障害のレベルに応じた適切な補償額を検討する一方で、迅速な補償を可能にする一時金の導入も検討する必要がある。

このほか、当該制度の包括性(学校管理下の事故、社会人、トップアスリート、レクリエーション、プロスポーツの全てを扱うか)、また競技別の危険度評価基準(格闘技、コンタクトスポーツ、非コンタクトスポーツ等スポーツの競技別の危険度の評価をどのようにすべきか)について検討を要する。

さらに、本制度の構築にあたっては、災害共済給付制度やスポーツ安全保険、現行の民間保険会社による傷害保険等既存制度の拡大、改変、連携等による実現可能性についても検討する必要がある。

 

Ⅵ 総括(国や地方公共団体、スポーツ団体等の事故補償に関する責務)

スポーツ基本法はスポーツを行う者の「心身の健康の保持増進及び安全の確保」を図るとし、国及び地方公共団体に対して「スポーツ事故の防止等」の努力義務を規定している。

他方、スポーツ事故の補償については明文の規定がなく、スポーツ事故のコスト負担をめぐっては、従来、自己責任を前提とする処理がなされてきた。しかしながら、競技者や関係者に経済的・精神的負担や犠牲を強いることのない安全で安心なスポーツ環境を実現するためには、「事故防止」と「事故補償」が両輪で整備される必要がある。この観点から、「事故防止」に加えて「事故補償」についても、スポーツ振興の促進を図る行政やスポーツ団体に一定の責務があると解するのが相当であろう(スポーツ基本法3条~5条参照)。こうした「事故補償」をめぐる責務については、今後踏み込んだ議論及び検討が求められる。

行政やスポーツ団体が主体となって、安全対策やリスク管理の強化、適切な指導や教育の提供、施設の整備、これに加えて不運にも発生してしまった事故をめぐる適切な補償と被災者支援等を行うことで、「スポーツ権」や「心身の健康の保持増進及び安全の確保」を謳うスポーツ基本法の趣旨が貫徹されるのである。

以上

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